So-net無料ブログ作成
検索選択

表現への意欲 ② [大きな表現] [羽鳥塾]

 (前回からの続き)

 「登場人物が何を代表しているのか」を掴むことである。

 ひと昔前の通俗的な例を出す。結婚に関する父と息子の親子喧嘩。「家の中の小さな世界」が舞台だ。だが、結婚が家同士のつながりであり、個人の選択を認めない「社会」の問題と考える父親と、自由意思に基づく「個人」の問題と主張する息子の対立となれば、事は「家の中の小さな問題」とはならない。

 父親は「保守」と「封建」を、息子は「革新」や「自由」をそれぞれ背負い、社会全体、人間全般の話となる。この「対立」構造を作家はストーリーの中で描き、演出家が舞台に露見させる。俳優は対立構造のそれぞれの「代表」として演じるのだ。背負っているものは真に大きい。

 「世界の中心に向かって愛を叫ぶ」という本があったと思うが、私はこのタイトルをもじって「代表者として、世界の中心に向かって訴えろ!」と俳優を指導している。

 このアドバイスで、「大きな表現」に近づく俳優は多い。もはや俳優個人の問題ではなくなり、自分に拘泥している暇がなくなるからだ。俳優は作家の代弁者となり、社会全体、人間全般の問題として演ずる。演技のスケールが大きくなるのだ。

 しかし発声や台詞の基本技術、感情のコントロールが未熟な俳優には効果がないアドバイスである。ただ力が入り、時に怒声となる。

 だからやはり技術は磨かなくてはならない。それと同時に「表現するという意志の強さ」も鍛えるのだ。鍛えて、鍛えて、鍛えたものを観客にお見せするのが俳優の仕事。

 作家は書かずにいられないから書き、俳優は伝えずにはいられないから演ずる。観客は喜びや感動を得たいがため劇場に足を運ぶ。

 演劇は真(まこと)に誇り高い。


nice!(0)