So-net無料ブログ作成
検索選択

YAKUMOを終えて⑤最終回 2004年12月10日 [YAKUMO]

音響デザインを担当して頂いた実吉英一(さねよしえいいち)さん。スケジュールの都合で私との事前の打ち合わせはたった一度。正直言って不安だったが、お忙しいスケジュールを縫って、たまプラーザまで来て頂いた。

実吉さんは細かい書き込みがしてある台本を広げると、幕開きからの効果音プランを次々と提示して下さった。その緻密さに感銘を受けた私は「実吉さんのお好きなように」と全てをお任せした。

そして本番。全編に的を得た効果音の連続だった。一番私が気に入っていたのは終幕に近い「鹿威(ししおど)し」の音。八雲がセツに過去の想いを打ち明けていると、情緒にあふれ風情のある竹の音(ね)が響いた。打ち合わせの時に「ここに鹿威しはどうかな?」とハニカミながらおっしゃっていたことを思い出す。

他にも八雲が初めて原稿を持ち込む出版社をたちどころにタイプライターの効果音で表現して下さる等々、ややもすると難解に陥りやすい「一人ミュージカル」を観客に分りやすいものとする心強い手助けとなった。

その実吉さんの片腕である音響オペレーターが遠藤宏志君。彼は沢木さんのその日の調子に合わせた微妙な音響ワークをみせてくれた。ワイヤレスマイクを通した台詞や歌が、実に自然で過不足なく聞こえてくる。その日の俳優の調子を見ながら的確にオペレーティングできる数少ない職人である。

さて、舞台監督の笠井隆行君。早くから現場で起こるであろう問題点を前もって洗い出し、何事もなかったように解決してくれていた。おかげで私はかなりの煩雑な作業に時間を取られずに済んだ。

舞台美術の多田真由子君は4ヶ月に亘る私の注文に泣き言・文句を一切言わず、道具のスケッチを何度も書き直してくれた。二人で打ち合わせしたカフェの店内装飾も「YAKUMO」美術のヒントになった。この二人の黙々と仕事に取り組む姿勢には頭が下がった。

そしてピアノの松川裕君。テクニックはもちろん一流だが、なんと言ってもハートがある。岩谷時子先生も彼の情感溢れる演奏を絶賛されていた。しかし稽古ではピアノの弾き過ぎで腱鞘炎にかかり、本番はテーピングをしながらの演奏だった。それでもテクニック・表現とも落ちない。人あたりは柔らかだが、玄海育ちの九州男児。中身は「男っぽい」はずだ。ナイスガイに拍手。

5回に亘り「YAKUMO創作秘話」としたが、一緒にモノづくりをしてくれたスタッフの力なくして「YAKUMO」は創れなかったことを痛感している。

総合芸術である演劇の面白さと、そしてその「怖さ」を再認識させてくれた。忘れられない作品「YAKUMO」。


タグ:Yakumo
nice!(0) 
共通テーマ:演劇

YAKUMOを終えて④美術 2004年12月3日 [YAKUMO]

彫刻家・勝野眞言(かつのまこと)氏。初めてお会いしたのは6月。仮面製作をして頂けると制作サイドからお聞きしていたが、ご本人はご自分で製作された彫像を舞台に提供すると思っていらした。この行き違いは嬉しい誤算。私はすぐに舞台空間を「八雲美術館」にするという演出プランを練った。

まず、同氏の作品写真集をお借りし、どの彫像を使わせて頂くかを検討。夏頃には、勝野さんと意見は一致していた。青山円形劇場にいらした方は覚えておいでだと思う。ロビー入口に置かれていた男性の顔の彫像がその一つである。もう一つはかなり大きいもので男性が頭を抱えている全身彫像(ロダンの考える人のよう)。

この二つで「小泉八雲」の苦悩・心情を表現しようと考えていた。その他には街の人々や生徒たちに見立てる、小ぶりでお腹が突き出た3体対(つい)の彫像。

9月1日、舞台監督の笠井君、装置・衣装担当の多田君らと共に、勝野さんのお車で彫像作品が保管されている山梨県の大月へ向かった。この日にどの彫像を舞台に飾るかの最終決定をしなくてはならない。

私は勝野さんと合意を得ていた彫像を選択肢からはずした。理由はスケジュールの変更。開幕まで当初予定されていた日数の半分に満たない稽古期間となっていたため、稽古の練り上げ如何に関わらず、観客に出来るだけ分かりやすいストーリーにするための彫像を選択する必要があった。

そうして選んだのが母親・ローザ、恋焦がれるエリザベス・ビスランド、そして妻・セツ(母子像)の3体である。ただセツの母子像は大月にはなく、写真だけで選んだ。欠かせないものと判断したからである。

勝野さんは3つの仮面も製作して下さった。しかしそのうちの一つを女性の仮面としてお作りになっていることを耳にし、慌ててお電話。男性とも女性ともとれる中世的な顔に変更させて頂いた。あらゆる登場人物として観客に見て頂くためである。

そして、いよいよ舞台稽古前日。ピアノが下手に置かれている関係でシンメトリーに3体の彫像が配置できない。位置がどうもしっくりこない。しかし、舞台空間上部に3つの仮面をシンメトリーに浮かべてみると、ピッタリと納まっている。喝采!

本物の彫像と同じ彫像家の手で製作された仮面を飾らせて頂いたおかげで、狙い通りの「八雲美術館」が舞台に出現し、重厚感溢れる作品となった。

初日が開いた日、私は勝野さんにお願いした。「次回、また僕が舞台を創る時には舞台美術家としてご協力下さい」。勝野さんは満面の笑みをたたえ、「はい、やりましょう」と快諾して下さった。                                         


タグ:Yakumo
nice!(0) 
共通テーマ:演劇

YAKUMOを終えて③音楽・作曲 2004年11月19日 [YAKUMO]

玉麻尚一君。売れっ子の作曲家。実に忙しい。そうした中、いとも簡単に曲を作る。

初めてお会いしたのは6月。私の脚本をその場で読み、ストーリーに流れる「通奏底音」を即座に理解してくれた。音楽用語の「通奏低音」という意味合いではなく、ストーリーにおける登場人物の心情を奏でるもの、端的に言えば、BGと考えても良いのだが、この言葉は辞書には載っていない。私が造語として使ったにすぎない。

曲も出来上がり、稽古が始まった。芝居の部分と合わせた音楽作りが行われる。小泉八雲やハーンの台詞の直前、あるいはその最中、あるいはその後。その他いたる所に私は心情がメロディーとして流れることを求めた。

「ここで何か音を頂戴」。この注文に玉麻君は即座にどのナンバーの、どの部分を持ってくるかを提示してくれる。そのシャープさは見事。

やがて一つの見解の相違が露見する。どこに音楽のクライマックスを持ってくるか。脚本の起承転結でいうところの「転」の部分。初日まで間もない時期だった。

私はM15「小泉八雲」がそれに相当すると考えていたが、彼はM17「揺るぎない決意」で作曲した。
結果、ストーリーの流れと曲想がズレた。私はM15とM17の曲想チェンジを求め、新たに2曲の作詞をし直す覚悟だったが、彼は新・M17を作曲して持ってきた。

東中野にある玉麻君のスタジオで検討を重ねる。もはや曲を入れ替えて新たに作詞をしている時間はなかった。私は主張を変更。元のM17の曲想を変えて、途中部分、3分の1をカットする。彼は即座に応じてくれた。

玉麻君は非常にミュージカルが分かっている人だ。
1人ミュージカルという特殊な形式では登場人物の心情の他に、情景描写など盛り込んだ歌詞がどうしても必要になる。1人の人生を2時間という短い時間で綴るのだから心情だけでは語れないものが出てくるのだ。

玉麻君の曲を出来るだけ生かそうと作詞の変更が続き、彼も詞に合わせメロディーを変えてくれる。「結果オーライ」。ストーリーと歌詞がつながった。

初日の幕が開くと彼は言った。「僕は脚本を読み込むだけですよ。すべては脚本から始まりますから」のさりげない返答。快男児。   


タグ:Yakumo
nice!(0) 
共通テーマ:演劇

YAKUMOを終えて②照明 2004年11月12日 [YAKUMO]

永野明子さん。この春、私の企画した「バレンタイン・コンサート」(玉川髙島屋アレーナ・ホール)で照明を担当していただいた。その真摯で積極的な姿勢とシャープな照明作りに感銘し、今回のプランをお願いした。

普段はアレーナ・ホールでの展示会や全国各地でのコンサートをメインの仕事をしてらっしゃる。だがお芝居(ミュージカル)は初めて。彼女の起用は私の賭けだった。

「YAKUMO」は照明が演出の重要な部分を担う。晩年の小泉八雲が自分の人生を回想する中で、その時々の登場人物となり、ストーリーを進めていくというスタイル。

八雲、ラフカディオ・ハーン、エリザベス・ビスランド、サラおばさん、街の人、遠縁の人等々、変幻自在に変わる役は実に30を越え、要所々々で晩年の八雲に戻る。八雲に当たる照明のことを私は「八雲スポット」と呼び、夏の間に永野さんとは3度綿密な打ち合わせを行った。

さて舞台稽古。照明器具の仕込を終え、照明卓のコンピューターにプランを打ち込む。細かく大量のプランニングだから時間がかかる。永野さんが作業を終えたのは初日の昼間、通し稽古直前。

私はこの通し稽古で初めて全般に亘って彼女の照明を見た。ストーリーに沿っていて悪くなかったが、全体が今ひとつ明るく、彫像や仮面の際立ちが弱い。加えて肝心の「八雲スポット」も印象が薄くなってしまっている。私のイメージが伝わっていないのだ。

初日の開場時刻まで残すところ2時間強。私と永野さんは時計を睨みながら幕開きのシーンから照明を作り直していった。「それはオーケー」「今のよりも前の方がいいな」、「それは無理です」「このくらいでどうですか?」等々、我々の試行錯誤が続く。

「八雲スポット」も「暗がりの中に浮かぶ電話ボックスのように」と示唆すると、彼女は即座にイメージを理解してくれ、変更がすみやかに行われた。

全ての作業が終わったのは開場時刻の5分前。間に合った。                       


タグ:Yakumo
nice!(0) 
共通テーマ:演劇

YAKUMOを終えて① 2004年10月29日 [YAKUMO]

昨年11月に横浜で沢木さんとお会いして「八雲」のお話を頂いた。ご自分のライフワークと望む舞台に、まだ未知数の私を脚本と演出で起用するのだから、恐らく不安であったと思う。果たしてその英断にお応えすることができたのかどうか。それはもう少し先にならないと分からないのかもしれない。

しかし「俳優を育てること」と「作品を創ること」を二本柱で立ち上げた「シアタープロジェクト羽鳥」。その初年に「YAKUMO」の演出・脚本として参加させて頂いたのは光栄であり、幸運だった。感謝。

10月24日、「YAKUMO」が終わった。色々とご評価を頂いているが、概ね好評の感ありである。もちろん嬉しい。しかし、岩谷時子先生から褒めて頂いた時は格別だった。

22日(金)のソワレ公演。先生の突然のご来場に私は緊張した。終演後、楽屋にお越し下さり、幸運にも二人だけで30分程お話しさせていただき、身に余る光栄のお言葉を沢山頂戴した。

中でも、「私は『八雲』で育ったの。あなたの描く『八雲』は素晴らしいわ。これはお世辞じゃないのよ。あなたの小泉八雲像に共感するわ。よくここまで書いたわね。2時間の枠の中に八雲の人生をよく盛り込んだわ。久しぶりにいい舞台を観たわ。あなたはこれからもっと作品を創っていくといい。調べものがあったら私に相談しなさい」。このお言葉に私は不覚にも涙を流してしまった。

四季時代に「異国の丘」(浅利慶太氏との共著)を書いた時にもご一緒させて頂いたが、こんなに身近でお話しをして下さったのは初めてだった。

今回の「YAKUMO」。もし成功であったとしたら、スタッフ・ワークがその一因であることは間違いない。

「YAKUMO」という建物を建設するための設計図である脚本は私が書いた。それをスタッフ一人一人が読み込み、膨らませてくれた。音楽、美術、音響、照明、舞台進行。それぞれのセクションに演出家としてのプラン・イメージを伝えた。

今考えればターニング・ポイントがいくつもあった。次回からそのひとつひとつを「八雲創作秘話」として振り返ってみたい。まずは照明スタッフ。チーフは永野明子さん。彼女と私の試行錯誤の作業は初日開場5分前まで行われた。


タグ:Yakumo
nice!(0) 
共通テーマ:演劇