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目指すは「分かるお芝居」 ② [舞台]

  「演出家とは筋張り職人である」。演劇の師の教えが私の基本にある。脚本があり、俳優が演じ、観客が感動する。三者の橋渡しをするのが演出家の仕事だ。シーンとシーンとの間に橋をかけてストーリーを紡いでいく。舞台上で進行していること、行われていることを観客の前に明らかにしなければならない。その上で「面白さ」と「感動」を追及する。

 感動を創出するために、我々作り手に必要なものは何か?いいものを創りたいという「作品に込めた深さ」である。師は「祈り」と呼んだ。「祈り」を持ち、表現技術を飽くことなく追及する者だけが「観客の感動」という果実を得る。稽古場における汗の量、振り絞る知恵や工夫の数々。知名度でもお金のかけ方でもない。不断の努力と精進。私はどんな仕事であれ、稽古をしない俳優や知恵を絞らないスタッフに好感を持つことができない。

 感動を呼ぶために我々は作品を可能な限り「緻密」に創る。よく「羽鳥は細かいからな」と言われる。しかし「緻密」の積み重ねこそが「違和感なく自然」に見える舞台を創り上げ、台詞や音楽の調べを「ある時は軽快に、ある時は重厚に」響かせるのである。ただし、「木を見て森をみない」の愚を犯してはならない。「森を見て木を見る」。

 例えば音楽。どの箇所に、どのくらいの寸法でメロディーを入れ、どれほどの音量で奏でれば効果的か?例えば照明。ナンバーの変化で、あるいは台詞のきっかけで、登場人物の心情の変化を表すには?俳優の演技は正しいか?立ち位置は?舞台袖への引っ込みは、前がいいか、後ろがいいか? 数え上げればキリのない迷いと選択が延々と続く。それらに優先順位をつけ、「大きな課題」から「小さな課題」へと片づけていく。その集積が公演なのである。

 スタッフの力を借りながらも、最終的には演出家である私がすべてを決定しなければならない。予算、人員、劇場、開幕までの残り時間等々、与えられた条件下、作品を創り上げる上でのベストな選択を迫られる。

 演出家に求められるのは目と耳の確かさ、そして、ストーリーを紡ぐセンスと言えるか。 

 すべては観客のために。


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目指すは「分かるお芝居」 ① [舞台]

 初演を振り返っているうち、7月も後半。再演まで残り3カ月余りとなった。「再演にあたって」を語ることにする。

 我々の作品づくりのコンセプトは一貫している。「初めての方がご覧になっても分かるお芝居」。「分かる」とは「お話が分かる」ということである。「ストーリーの明快さ」と置き換えてもいい。そのために俳優、スタッフは総力を絞る。

 今年観に行ったあるお芝居でのこと。1幕が終わった時、隣の高齢のご婦人に尋ねられた。「これはいいお芝居なんですよね?」。一瞬、言葉を探しながら、「…、ええ」と答える私。「ちょっと私には分からなくて…」。彼女は恐縮したように続ける。私は「少し難しいお話しですし、表現の約束事もあるので、分かりにくいところがあるかもしれませんね」とフォローした。

 実際の舞台はと言うと、出演者たちは好演しているし、作品の質もかなり高い。だが脚本のテーマが壮大であり、ストーリーの運び方は難しい。演出も芸術的と呼ぶにふさわしい頂(いただき)を目指している。それほどお芝居の愛好家とは言えないであろう高齢のご婦人が楽しむには、少し敷居が高かったのかもしれない。

 それでも私は思う。たとえ難解な作品であろうと、彼(か)のご婦人が「分かりやすく、感動する作品」を創りたいと。

 演劇は生(ナマ)で観客に届けるしかない。その場一回限りという点において映像とは決定的に違う。観客の反応は演じてである俳優にリアルタイムで起こり、演技のやり直しはきかない。お金を払って劇場に足を運ぶ観客が「来て良かった」「観て良かった」と思うには、「分かりやすさ」は必須の入り口だ。

 俳優は、「分かるお芝居」を創るために、以下の3つに留意して日頃からの鍛錬を行ない、舞台に臨まなければならない。

 ・何を言っているか分かる(言葉)

 ・何をしているか分かる(行動)

 ・どんな思いなのか分かる(情感)

 では、「分かるお芝居」を創るために、演出家である私がすることは?

 


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「夜物語」 初演 (3) ~舞台美術 パネルが、…青…? [舞台]

 後に分かることだが、仁平君の頭の中では、前進座劇場の寸法、客席からの見え具合、照明の有り様、これら全てが計算され、装置の形状と色の具体的なイメージが出来上がっていた。当時のスタッフで本当に仁平君の舞台装置で行けると判断していたのは、本人を除けば他1人だったろう。もちろん私ではない。

 9月15日、前進座劇場で仕込み開始。大道具が建て込まれた。それ以前にパネルの数は私の判断で上手、下手それぞれ1枚ずつ減らしていた。空間バランスを考えてのことだ。もちろん仁平君も納得の上で了承。パネルの材質もコスト削減のために安価なものにした。安っぽい装置にはしたくなかったので、私はかなり心配して相談したのだが、この時も仁平君は「材質を落としても全く問題ないです」と言い切った。そして実際、全く問題なかった。

 飯塚さんによる照明の調整が始まった。うす暗い客席から舞台を眺めた私は、決して誇張ではなく、全身が震えた。まだ調整中の照明だというのに、仁平君の装置が圧倒的な存在感で客席に迫ってくる。まさしく「夜物語」の世界…!信じて良かった!

 翌16日。俳優が参加しての舞台稽古。パネルの「青」は屋根裏部屋、妖精の国、ウルクーの森、魔法使いの国で、実に様々な表情を見せる。ベテラン・飯塚さんの照明の当て加減によって各シーンは違和感なく表現され、出過ぎて邪魔することもなく、背景となって消えることもない。ストーリーに貢献する頼もしい存在となっていた。「青」は効いていた…。


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「夜物語」 初演 (2) ~舞台美術 パネルが、…青…? [舞台]

 舞台美術家・仁平祐也君。小劇場を中心に大道具や小道具製作を黙々と一人でこなす「職人」。180センチはある長身で、無精髭をはやし、バス・バリトンの声で訥々と話す。一見いかつい風貌だが、クリっとした瞳が澄んでいて、実は心やさしき巨人。

 2009年2月末。彼が考案した装置のデザイン画が出来上がった。上手と下手の尖塔形パネルがそれぞれ5枚ずつ舞台手前端から中央奥に向かって並べられ、尖塔は内側に向かってカーブを描いている。色は濃い「青」が基調で、パネルの表面は葉脈をモチーフしたデザイン。地球をイメージし、上下(かみしも)の先端を合わせれば円のシルエットが想起される。

 造形は悪くない…。しかし、色が、…青…? これで全シーンを表現する…? 少々不安になった。さりとて私は「ノー!」と言うだけの確固たる自信が持てなかった。「もしかしたら、これ、…、結構いいのかな…?」というかすかな予感があったのかもしれない。

 そうこうするうち、3月中旬。デザイン画通りの舞台装置模型が私のスタジオにデンと置かれた。仁平君はもちろん、照明の飯塚さんや舞台監督の神谷君も顔を揃え、具体的な舞台美術ブランを練る。だが正直なところ、打ち合わせが進んでいたこの段階になっても私はまだ迷っていた。色は本当に「青」でいいのか…?

 飯塚さんも色に関しては「この青でも出来ないことはないが…」と口を濁し、吊り物やバトンの専有についての議論に終始している。照明的にも濃い「青」では成立しにくいのではないか…? 迷いに迷う。

 ええい!全てが理屈で決まるものではない!何かで読んだことのある言葉を思い出す。「物事に迷った時は、人を信じろ」。色具合の良し悪しの判断がつかないのだから、それだったら、創った仁平君を信じろということだ。彼と心中!信じることで、迷いを無理やり打ち消した。


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「夜物語」初演(1)~初演を振り返って [舞台]

 昨秋上演した「ファンタジー・ミュージカル 夜物語」。自主制作の第1作目である。上演が実現するまでにはいくつもの高い壁があり、一つひとつ乗り越えなければならなかった。昨年内にすぐにでもこの演劇雑記で振り返りたかったが、興奮のフィルターを通して書くことは避けたく、故に今となる。思い起こすことから順次触れていく。

 2008年初頭。台本と音楽はすでに出来上がっており、稽古はこの年4月から始まった。開幕初日まで16か月余り。慌てて創りたくなかった。初演である。練りに練り、上演するに値する「質の良い作品」に仕上げなければならない。そのためには16カ月が必要だったのである。

 稽古は週に1度。1日3時間。決して長くはやらない。このシステムがうまくいった。週に1度だから、残りの6日間、俳優たちは作品および自分の役についての理解を深め、技術練習を繰り返す。翌週のレッスンに十分な準備ができるのである。

 ところで、「読み合わせ」という稽古初期の言葉がある。だが私は「しゃべり合わせ」と考えている。内容を掴んだり、役を掘り下げるために、俳優個人が台本を目で追って「読む」ことはもちろん大変重要。しかしそれは事前に行うべき準備の一つであり、稽古場に出演者が集まり、声を出すのなら、「読む」のではなく、積極的に「しゃべる」べきだ。

 「力む」癖がある俳優と同様、「読む」癖がなかなか抜けず、「自由さ」を失ってしまう俳優は多い。声を出す筋肉と頭脳が「読む」ことを覚えてしまうのだろう。だが「読み言葉」の延長に「しゃべり言葉」はない。稽古の初期段階であろうと、自らの肉体を使い、対象に向かって積極的に「しゃべりかけて」いってほしい。

 「しゃべる」とは「働きかけ」であり、「行動」である。解釈がトンチンカンでも構わない。生きている人間として存在を示して欲しい。たとえ「しゃべり合わせ」の段階で俳優が間違った方向で表現(行動)していたとしても、稽古が進んでいく中で内面を変えていけば良い。深みが無いなら、深みをつける努力をしていけば良い。登場人物が置かれている状況と目的意識、この二つの把握が結果として俳優を理に叶った行動へと導き、演技を深める。「しゃべり方」などはいくらでも変わるはずだ。

 「しゃべり合わせ」から始まった数ヶ月間、俳優たちに求め続けたことがある。「登場人物が生きる世界を自らのイマジネーションで構築してほしい!」。「夜物語」はファンタジー。リアルで現実的な人間世界のお話ではない。「基本」は大事で崩してほしくないが、自由闊達な「遊び」感覚が必要。まさに一から創り上げる俳優たちとの共同作業が続いた。


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金志賢コンサート③ 震えた! [舞台]

コンサート本番当日。赤坂区民センター。

朝9時に仕込みが始まり、稽古開始は14時。通し稽古は16時から予定されていた。本番が19時だから、慌しいことこの上ないスケジュールである。

14時からの稽古はジーヒョン君のコンディションを考慮しながら、1幕の幕開きからナンバーを中心に運んでいく。私の司会やトークの稽古をしている時間はない。照明担当の大場さんが限られた時間の中で明り合わせを黙々と続けてくれている。

稽古は進むが、案の定スケジュールが押し加減になり、通し稽古開始予定の16時を過ぎてしまうことは明らかだった。舞台監督の河口さんが心配そうな顔をしている。経験豊かで場数も相当踏んだスペシャリスト。緻密で丁寧な仕事をしてくれる頼もしい存在だ。「このままだと通し稽古の時間がなくなりますが…」と訴えてきた。「やりません」と私が答えると、一瞬意外という表情を見せた。

通し稽古をやれば、ジーヒョン君の疲労が増すのは確実。それよりも本番での彼女に賭けたほうがいい。「舞台に立った時、彼女が歌うことだけに集中すればいいようなお膳立てだけはする。通しをやる必要はない」。私の考えを河口さんはすぐに理解してくれた。

そして本番…。幕開きの「When I need you」から、ジーヒョン君は飛ばしに飛ばした。袖中で聴いている私は震えた!どの曲も素晴らしい!どんな状況でも最高の歌を聴かせるのがプロというものだろう。彼女の実力は知っており、彼女を信じてはいたが、結果は予想以上の出来映えだった。

ジーヒョン君は確実に「進化」していた! 以前より歌がうまくなっている。本番で力を出すために、稽古では調整していたのだろう。特に2幕ラストの「川の流れのように」と、カーテンコールの「あの鐘を鳴らすのはあなた」は圧巻だった。

私はこの2曲にこだわっていた。「川の流れのように」はジーヒョン君が好きな曲の一つではあるが、レパートリーではない。さらに「あの鐘を鳴らすのはあなた」は彼女にとって全く知らない初めての曲だ。しかし私は主張して譲らなかった。「これからも日本で活動を続けるなら、絶対にこの2曲を歌い続けていくべきだよ!」

今回のコンサート。この2曲をお客様に聴いて頂くために他の曲があったと言っても過言ではない。だからこそ歌唱力に定評のあるジーヒョン君に、何と歌い方のアドバイスまでしたのである。この2曲に対するお客様の評価が高かったのは本当に嬉しい。そして見事に歌いこなしたジーヒョン君に心から敬服する次第である。

さて、コンサートには問題点もあった。私の司会である。舞台に出演するパフォーマーとしての勘がなかなか取り戻せなかった。何とか落ち着きが見えたのは最後の3回目の公演あたりか。やはり私はもう舞台に立つ人間ではなくなっているのかもしれない。反省…。

ともあれ、ジーヒョン君の歌を初めて聴いて頂いた観客にはその素晴らしさを知らしめ、以前からのファンにはこれまで以上に彼女の歌声を堪能して頂いた。コンサートはまずまず成功したと言えるのではないだろうか。

ジーヒョン君の歌声はこれからも聴く人の心を捉えて離さないだろう。、彼女の今後の活躍を信じて止まない。


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金志賢コンサート② 優先順位 [舞台]

韓国での「シカゴ」公演出演のため、日本と韓国を行き来するジーヒョン君。そんな過密スケジュールの中でも、彼女はコンサートで予定されている20を越える曲の練習を重ねていた。肉体的にも精神的にもかなりの負担であったに違いない。

「シカゴ」の公演が終わった。さあコンサートに全力投球!稽古の日数、時間は限られている。伴奏者との歌合せを数日行った後、田園都市線の溝口にある「男女共同参画センター」という劇場を、午後だけ2日間借りて稽古が行われた。本番は翌々日、2日後だ。

稽古初日。私たちに気を遣わせまいと気丈に振舞ってはいるものの、疲労がたまっているのか、本番を目前にして彼女の体調は必ずしも万全ではない。私の目にはそう映った。

限られた2日間の稽古で何を優先するか?為すべきことは多いが、すべてできるわけでない。コンサートで一番大事なのは、彼女の歌声を劇場に響き渡らせること。存分に自分の歌をステージで歌ってもらうこと。これに尽きる。

稽古開始! 全体を仕切る私は、とにかくジーヒョン君に「流れの中でナンバーを順番に歌っていけるような喉になってもらう」ことに終始した。歌曲のジャンルが異なるので、歌唱法をその都度変えなければならない。喉への負担が大きいことは分かっていた。音響さんのサポートは欠かせない。

音響を担当してくれるのは私と同年生まれの安藤さん。機材を持ち込んで徹底的にジーヒョン君のボーカル・データを取り、本番のために入念な準備を黙々と重ねていた。私は彼に一つだけ注文した。「ジーヒョン君のボーカルを、うるさ過ぎない限界まで客席へ抜いて下さい」。

歌声を演奏の一部とし、全体として調和の取れた聴きやすさ、心地よさを目指すスタイルのコンサートはよくある。だがジーヒョン君のボーカルは違う。観客の心にえぐり込んでくるようなインパクトある彼女の声量と表現を、耳障りにならないギリギリのところまで劇場に響かせてほしいのだ。安藤さんは「さも当然と」ばかりうなづいてくれた。 

稽古が進む。本来なら舞台における細かい演出上の段取りをあれこれつけたいところだったが、歌うことに全力を傾けているジーヒョン君に余計な負担はかけられない。そのためには突然の構成変更も辞さない。

 「スタッフの皆さん、1曲カットしまーす」。私の声が劇場に響き渡る。

歌唱法の調整がうまくいかないナンバーを1曲はずすことにしたのである。必死にナンバーに取り組んでいる彼女のために、少しでも不安の材料は払拭しなければならない。

その後、稽古はスムーズに運んだ。1日目が終わり、2日目の稽古も彼女の体調を考え予定より早めに切り上げた。

さあ、いよいよ本番!


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金志賢コンサート① 構成思案 [舞台]

金志賢(キム・ジーヒョン)君。以下、ジーヒョン君と呼ばせて頂く。

8月。手元にある50曲ほどのリストをにらむ。ジーヒョン君のレパートリーだ。さて、どの歌を選ぶか…?

ミュージカルファン、特に劇団四季のファンであれば、ジーヒョン君のことを知らない人はまずいまい。一方、今回来場する観客の3割ぐらいは港区民を含む一般客との見込みも立っていた。

知る人ぞ知るキム・ジーヒョン君を紹介するコンサート。「こんな素晴らしい歌い手がいるんだ!」と、彼女を初めて見る一般のお客様にもびっくりしてもらえたら、こんな嬉しいことはない。

ナンバーを中心に運び、芝居仕立てにはしない。ただしストーリー性は持たせる。テーマをどうするか…? ジーヒョン君の「今日に至るまでの道のり」。これで行こう!

二部構成のコンサートにすることを決め、ナンバー選びを開始。ポピュラー、ゴスペル、ミュージカル、日本歌曲。これらを英語、韓国語、日本語で歌う。大事な幕開きとラストは以下のように。

①1幕の幕開き:歌声が客席にダイナミックに響くポピュラー。

②1幕ラスト:劇団四季時代のミュージカル・ナンバー。

③2幕の幕開き:再び、歌声が客席にダイナミックに響くポピュラー。

④エンディング:絶対に日本歌曲でしめる。

大まかな枠組みが決めてから、都合20曲ほどの選曲も終えた。次はこれらのナンバーをどうつないで行くか…? コンサートのコンセプトを明確にしなければならない。それ次第でトークのスタイルが決まる。うーん…?

「洗練されたボーカルと泥臭い司会」。これで決まり! 予算のことも考慮し、司会は私がやることに。舞台に立つのは実に4年ぶり。本格的な劇場の舞台となると7年ぶりだ。だが、何とかなるだろう。演技するわけではない。司会だ。それも自分が書いた構成台本。大丈夫、大丈夫!

これがどんなに甘い考えであったかを私は本番当日に知ることになるが、それは最終回に譲る。


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ドラマ リーディング 2006年12月15日 [舞台]

師走に入った。今年、劇場に足を運ぶ機会はそう多くなかったが、一つ印象に残った舞台を挙げる。

9月、紀尾井小ホールで公演されたドラマ・リーディング「溺れる花嫁」(ドラマクリオ主催)。
座ったり、立ったまま行われることの多いリーディングとは一味違っていた。

「視覚的な要素をあえて手放す」と謳ってはいるが、セットもあり、俳優が台本を手にしている他は通常の芝居とそれほど違和感はない。

「芝居はやはり脚本(ホン)だ」の感を強くした。第二次世界大戦中、ナチス支配下のラトビアで起きた実話に基づいた物語である。あらすじは省く。

現在と過去とが交錯する緊密なドラマが、秀逸な演出によって舞台に再構築されている。
4人の俳優達は時空を超えた2役を生き抜き、生存権を脅かされた人間が究極の選択をしなければならなかった真実を解き明かしていく。

私は上質のサスペンスドラマに引き込まれた。テーマに迫るアプローチはスピーディーで、実にオーソドックスだ。一歩ずつ階段を駆け上がるスリリングな感覚。脚本の骨組みが堅固であるからこそ、演出も演技も余計な装飾をほどこしていない。舞台上では登場人物の削ぎ落とされた行動が露見しているだけだ。

どんな役どころであれ、登場人物は全て魅力的でなければならない。8人の登場人物も充分皆魅力的だった。俳優達の卓越した技術に支えられていた所以であろう。

詰まるところ「人間とは何か、人生いかに生きるべきか」の問いかけを発するのがドラマである。「溺れる花嫁」は見事にそれを体現していた。

31年前、パルコ劇場で観た「エクウス」。私が演劇の道に入るきっかけとなった舞台だが、幕間に客席から立つことのできなかったあの時の震えるような感動が久しぶりに甦った。いい芝居を観た後の心地よい気分は格別だ


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ローマ狂言一座に学ぶもの 2005年10月21日 [舞台]

9月の末、国立能楽堂。「演劇雑記~出会いは次の章の複線~」でも紹介した「ローマ狂言一座」来日公演を拝見した。

演目は「恋の骨折り」。早稲田大学教授・関根勝氏がシェイクスピアの「十二夜」とコメディア・デラルテの筋書きを下敷きにし、翻案したものである。日本語をを学んでいるイタリア人学生が日本の伝統芸能・狂言を見事演じきった。

イタリアのコメディア・デラルテと狂言に共通点が多いことに気がついた関根氏は「日本とイタリアの伝統文化を融合させることで、まったく新しい舞台になる」と、昨年「実験ツァー」と評する初めての公演を日本で行っている。数多くのマス・メディアにも取り上げられ、ご覧になった方もいるだろう。今回は「前回よりも完成度を高める」と臨んだ再演である。

正当な狂言から見れば亜流かもしれない、しかし実験劇としては真に真摯であり、好感が持てた。

俳優達はプロではないが、学ぶべき点は実に多い。表現したいという欲望、意欲が強く、内面にあふれんばかりの「役者魂」が渦巻いているのだ。関根氏は「あれでも表現を抑えさせた」とおっしゃる。結果、抽出された演技は凝縮されたパワーを舞台にみなぎらせていた。

私の教室で学ぶ多くの生徒に求められるもの。まさにこの「表現したいという欲望と意欲」に他ならない。羽鳥塾では演技ツールの一つとして台詞の発声から始める。それが「芝居っ気の多い」俳優の卵達にとって、時には足枷になり、彼らの表現意欲を奪う。

しかし「縛り」を克服してくると、俄然演技力が増してくる。演劇雑記でも度々触れている「発声と発想の一致」である。押さえつけられていたパワーが内面で支えられたリアリティーによって嘘のない演技に変化する。そして発声という出口から台詞がほとばしり出るのだ。

誰もが芝居っ気がたっぷりあるわけではない。大人しい生徒も、自分の感受性を信じ、必死になってその発露を見出そうと懸命だ。しかしなかなか「殻」が破れない。「自意識を捨て、想像力を駆使して作り上げた登場人物の造形の中に飛び込むこと」。この壁が高い。レッスンの中で、絶えず自己と対峙しながら獲得していく他はない。

ローレンス・オリビエがアンソニー・ホプキンスにアドバイスしたという言葉のうち5つだけ紹介する。

         ・リスクを負え

                ・命をかけろ

                ・正気を捨てろ

                ・バカになれ

                ・演技に集中しろ


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