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羽鳥三実広の活動実績 2007年 [活動記録]

劇団四季在籍27年。
2003年末に退団後、2004年より、シアタープロジェクト羽鳥で活動を開始。
脚本家、演出家、演技トレーナーとしての活動実績です。

2007年
●ユニバーサル・スタジオ・ジャパン プレミアショー
 「モンスター・ライブ~VAMPIRES-M子の夢-鏡の中の私~」
 演出協力・演技指導

●ユニバーサル・スタジオ・ジャパン プレミアショー
 「ワンピース」 演出協力・演技指導

●ユニバーサル・スタジオ・ジャパン プレミアショー
 「トト&フレンズ?」 演出協力・演技指導

●「ソロミュージカルYAKUMO」 脚本・作詞・演出
 逗子文化プラザ
 国見町観月台文化センター
 新神戸オリエンタル劇場
 早稲田大学大隈講堂、
 島根県民会館大ホール

●ミュージカル「マリリン」試演会
 脚本・作詞・演出
 あざみ野アートフォーラム

●ミュージカル「マリリン」舞台レッスン
 脚本・作詞・演出
 あざみ野アートフォーラム

●リバーキッズ
 「オーバー・ザ・レインボー2007」
 台本・公演協力
 砺波市文化会館

●TBS新人アナウンサーボイストレーニング講師


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羽鳥三実広の活動実績 2004年~2006年 [活動記録]

劇団四季在籍27年。
2003年末に退団後、2004年より、シアタープロジェクト羽鳥で活動を開始。
脚本家、演出家、演技トレーナーとしての活動実績です。


2004年
●「愛のバレンタインコンサート」 企画・構成・演出
 (玉川高島屋アレーナホール)

●「イースタン・オデッセイ」 日本語版台本、日本語版演出
 (長崎ハウステンボス)

●「ソロミュージカルYAKUMO」 脚本・作詞・演出
 (青山円形劇場)


2005年
●「職業を語る会-生き方に学ぶ学習会」 講演
 (横浜あざみロータリークラブ/横浜市立すすき野中学校)

●「ワークショップ東京大会-教師のための発声・表現・演劇講座」
 (全国高校生活指導研究協議会)

●「ソロミュージカルYAKUMO」 脚本・作詞・演出
 (鎌倉芸術館、北九州芸術劇場)


2006年
●「ソロミュージカルYAKUMO」 脚本・作詞・演出
 (名古屋市千種文化小劇場)

●ユニバーサル・スタジオ・ジャパン5周年記念新アトラクション
 「ピーターパンのネバーランド」 ボイスキャスト協力

●リバーキッズ「オーバー・ザ・レインボー2006」 台本・公演協力
 (砺波市文化会館)

●TBS新人アナウンサーボイストレーニング講師


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心から感謝し、次へと向かう [ご挨拶]

昨年3月。スタジオをカルチャー教室に譲渡し、羽鳥塾の活動を終了した。
俳優を育て、作品を作り上げていくという理念の下、2004年にシアタープロジェクト羽鳥を設立し、俳優の育成・指導にあたった羽鳥塾の11年間に終止符を打ったのである。重い決断だった。
11年…。この間、オリジナルミュージカル作品を4度上演できたのは、私たちを信じ、ついてきてくれた俳優さん達のおかげである。皆との信頼関係の上に築かせて頂いた金字塔…。感謝してもしきれない。

思えば私は幸運であった。生存率が極めて低い演劇の世界で、この年齢(60歳)まで生きてくることが出来た。これは私の力などでは決してない。出会った周りの人々が、私を演劇界で生き延びさせてくれ、成長させてくれた。劇団時代然り、独立してからも然り。すべて出会った皆さんによって、私は支えられていた。それに応えようとした演劇生活39年だったも言える。嘘偽りなく、出会ったすべての方々に心から感謝!
ご縁があり、5年ほど前より大阪音楽大学で学生の指導に当たらせて頂いている。現在、彼の地でのワークショップや講演の依頼も多く頂くようになった。これも幸運なことである。

今、私には、これまで学んだこと、得たことを、必要としている人のために伝えたいという思いがある。羽鳥塾は解散したが、シアタープロジェクト羽鳥は存続する。残りの人生、演劇界で私ができることは何なのか…? 次の10年はもう始まっている。



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「孤児マリア」を終えて~迷いが解けた瞬間 [孤児マリア]

9月2日の日曜日。「孤児マリア」の公演が終わった。
演劇の世界に入り36年になるが、初めての感覚が私を襲う。 
「何も考えられず、頭の中が空っぽ」。色で言えば「白濁食」。
ありきたりの言葉ではあるが「全力を出し切った」
「死力を尽くした」後遺症だった。

実は稽古を始めてから「良い作品になるだろうか」との危惧が絶えずつきまとっていた。
ストーリー展開が今一つ緩く、打開策が掴めない。
「失敗」もあり得ると内心不安が募り、まさにオリジナル・ミュージカルの難しさに直面していた。

恐怖を打ち消したのはナンバーの追加だった。
鈴木喬子さんにお願いして、M5B「希望」に「志を高く~」のメロディーを足してもらう。
聴いた。行けるかもしれない!直感した。
テーマが明確になり、この歌詞につなげるためにストーリーを紡いでいくという「大目的」が定まった瞬間だった。

他にも作品の成功に向けての懸念材料があった。

2幕の「画廊」のシーンをどう表現するか?

スタッフの進言もいくつかあり、何度コンセプトを変えたか分からない。
本物の絵を飾るか、それとも何か別の方法で…?
最終的に「肖像画を俳優が演じる」と決心する。 失敗すれば陳腐この上ない。 

だが劇場という現場に行かなければ判断ができない。
舞台稽古という限られた時間の中で作りあげなければならないのだ。
代替策は用意しない。美術の仁平君は「行ける」と言う。賭けだった。

舞台稽古当日…。窓枠を額縁に見立てる装置は成立していた。
後は俳優を配置して本当に絵画として成り立つか…?
照明の太田君と二人で知恵を絞りに絞る。
試す、違う、試す、違う、を繰り返し、「これもダメですよね」と太田君がつぶやきながら次の明かりにスライドした時、私は「待った!」の声を張り上げた。

「前のものに戻して…、それ、いい…」。 

中央正面セシル役の女優さんの全身が、鮮やかに肖像画として表現された。

今回も「夜物語」と同様、良いものを作ろうと開幕寸前まで必死の努力を重ねた。 
だが「孤児マリア」のほうが格段の達成感がある。
楽曲と振付の基盤の上に衣裳、照明、美術、音響、各スタッフのコラボレーションが行なわれ、結果、仕上がりが予想以上の出来栄えとなったのだ。

各スタッフが私の言動、指示を不快に思ったことは一度や二度ではないだろう。
しかし、結果オーライ。皆さんには心から、心から感謝する次第である。

音響の遠藤君、衣裳の仲村さん、照明の大田君、美術の仁平君、そして舞台監督の伊藤君。
ありがとう! 



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年頭所感~次代を担う若者たちへ [羽鳥塾]

  「突然、未来が変わった」。メディアに報じられるまでもなく、昨年の東日本大震災により、日本人の多くが自らの生き方や考え方を問うこととなった。

 常に変化し、時に人間に暴威を振るう自然。我々は将来どうなるか分からない世界に生きているという現実。未曾有の大災害を前に、内奥にこだまする「人生無常」。

 何のために芝居をやっているのか? なぜ他の仕事ではなく演劇なのか? 大震災以来、くすぶる根源的な問いがあった。俳優を育て、作品を創ろうと格闘することで過ぎていく毎日…。果たして私のやっていることに意味があるのか…?

 大震災で大きな被害を受けた陸前高田市が、共に教員であった祖父・祖母の最後の赴任地であることを、震災後、初めて知った。私のルーツ…。その昔、生活困難な時代に教員として奮闘、格闘していた祖父母。二人の教え子やその子孫がいる町が津波で流されていく痛ましい映像が、今でも脳裏に焼きついている。祖父母が生きていた時間に思いを馳せると、奇しくも大学の教員になった私に、残りの人生での使命が少しずつ見えてきた。

 「無常」に失望し、あきらめるのではなく、「無常」だからこそ、より積極的に生きてこその人生。次代を担う若者たちにそれを伝えていくことが、私の仕事ではないか…。

 演劇を専門とする指導を天職と心得、プロとして通用する俳優の育成に私はこれからも力を注ぐ。しかし合わせて社会に貢献する人間に育てる努力を怠ってはならない。羽鳥塾や大阪音大の多くの若者たち…。演劇を勉強し、演劇を愛することで人間として成長し、コミュニケーション能力や表現力、思いやりを武器に、たとえ将来どのような職業・仕事についたとしても、人に喜んでもらえる、信頼してもらえる人間になってもらいたい。そう強く願うようになった。

 先日、かつて羽鳥塾で学び、舞台活動していた女優さんが、看護師を目指して勉強を始めた。震災をきっかけに決心し、芝居はもうやらないと言う。「アルバイト先の病院で患者さんにお話や歌を聴かせてあげると、とても喜んでもらえる。芝居をやっていて良かった」と笑顔で語っていた。その顔の何と清々しかったことか。

 私はこれからも演劇の道を歩いていく。指導すること、教えることで、逆に教わっていく。技術だけでなく、俳優に必要な人間の「地固め」を生涯の仕事とし、合わせて人々に感動と喜びをもたらす作品を創っていく。

 人の役にたち、社会の役にたつ。それが私の仕事。 年頭の所感であった。 

   

 


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表現への意欲 ② [大きな表現] [羽鳥塾]

 (前回からの続き)

 「登場人物が何を代表しているのか」を掴むことである。

 ひと昔前の通俗的な例を出す。結婚に関する父と息子の親子喧嘩。「家の中の小さな世界」が舞台だ。だが、結婚が家同士のつながりであり、個人の選択を認めない「社会」の問題と考える父親と、自由意思に基づく「個人」の問題と主張する息子の対立となれば、事は「家の中の小さな問題」とはならない。

 父親は「保守」と「封建」を、息子は「革新」や「自由」をそれぞれ背負い、社会全体、人間全般の話となる。この「対立」構造を作家はストーリーの中で描き、演出家が舞台に露見させる。俳優は対立構造のそれぞれの「代表」として演じるのだ。背負っているものは真に大きい。

 「世界の中心に向かって愛を叫ぶ」という本があったと思うが、私はこのタイトルをもじって「代表者として、世界の中心に向かって訴えろ!」と俳優を指導している。

 このアドバイスで、「大きな表現」に近づく俳優は多い。もはや俳優個人の問題ではなくなり、自分に拘泥している暇がなくなるからだ。俳優は作家の代弁者となり、社会全体、人間全般の問題として演ずる。演技のスケールが大きくなるのだ。

 しかし発声や台詞の基本技術、感情のコントロールが未熟な俳優には効果がないアドバイスである。ただ力が入り、時に怒声となる。

 だからやはり技術は磨かなくてはならない。それと同時に「表現するという意志の強さ」も鍛えるのだ。鍛えて、鍛えて、鍛えたものを観客にお見せするのが俳優の仕事。

 作家は書かずにいられないから書き、俳優は伝えずにはいられないから演ずる。観客は喜びや感動を得たいがため劇場に足を運ぶ。

 演劇は真(まこと)に誇り高い。


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表現への意欲 ① [羽鳥塾]

 随分昔のことだが、小劇場系のお芝居を観ていた頃、帰路、不思議と元気になっている自分に気づいたことがある。発声に関して言えば、何人かの俳優の怒声は頂けないし、時として何を言っているか分からず閉口したことも多かったが、彼らにはほとばしるような「表現したい!」というエネルギーがあった。

 舞台俳優は観客に「想いを届ける」という原点から見れば、私は小劇場の出演者達から「熱い想い」を受け取り、結果、身内に活力がみなぎったのは事実だ。上手い、下手ではなかった。

 舞台俳優が持っているべきものの一つが「表現への意欲」。「人に訴えかける力」だ。

 「俳優の仕事とは、作家の書いた文体に肉体と声を貸すこと」。35年前、芝居の勉強を始めた頃に教わり、セピア色に色褪せたノートに書かれたこの言葉を、今でも時折読み返す。

 私はこう言い換えて俳優を指導している。「台本に書かれてあることを、力の限りを尽くして客席に届けろ」。「力の限りを尽くして」とは、技術はもちろんだが、俳優の魂の喚起も含んでいる。

 俳優とは「行動する人」である。しかし舞台上で登場人物が淡々と行動しているだけで、果たして観客は感動するか? 「芝居が小さい! もっと大きな芝居をしろ!」は、今でもあちこちの稽古場で演出家が俳優を鍛えている言葉だろう。

 では、どうすれば大きな表現ができるのか。

 一つの考え方がある。

 (次回へ続く)


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目指すは「分かるお芝居」 ② [舞台]

  「演出家とは筋張り職人である」。演劇の師の教えが私の基本にある。脚本があり、俳優が演じ、観客が感動する。三者の橋渡しをするのが演出家の仕事だ。シーンとシーンとの間に橋をかけてストーリーを紡いでいく。舞台上で進行していること、行われていることを観客の前に明らかにしなければならない。その上で「面白さ」と「感動」を追及する。

 感動を創出するために、我々作り手に必要なものは何か?いいものを創りたいという「作品に込めた深さ」である。師は「祈り」と呼んだ。「祈り」を持ち、表現技術を飽くことなく追及する者だけが「観客の感動」という果実を得る。稽古場における汗の量、振り絞る知恵や工夫の数々。知名度でもお金のかけ方でもない。不断の努力と精進。私はどんな仕事であれ、稽古をしない俳優や知恵を絞らないスタッフに好感を持つことができない。

 感動を呼ぶために我々は作品を可能な限り「緻密」に創る。よく「羽鳥は細かいからな」と言われる。しかし「緻密」の積み重ねこそが「違和感なく自然」に見える舞台を創り上げ、台詞や音楽の調べを「ある時は軽快に、ある時は重厚に」響かせるのである。ただし、「木を見て森をみない」の愚を犯してはならない。「森を見て木を見る」。

 例えば音楽。どの箇所に、どのくらいの寸法でメロディーを入れ、どれほどの音量で奏でれば効果的か?例えば照明。ナンバーの変化で、あるいは台詞のきっかけで、登場人物の心情の変化を表すには?俳優の演技は正しいか?立ち位置は?舞台袖への引っ込みは、前がいいか、後ろがいいか? 数え上げればキリのない迷いと選択が延々と続く。それらに優先順位をつけ、「大きな課題」から「小さな課題」へと片づけていく。その集積が公演なのである。

 スタッフの力を借りながらも、最終的には演出家である私がすべてを決定しなければならない。予算、人員、劇場、開幕までの残り時間等々、与えられた条件下、作品を創り上げる上でのベストな選択を迫られる。

 演出家に求められるのは目と耳の確かさ、そして、ストーリーを紡ぐセンスと言えるか。 

 すべては観客のために。


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目指すは「分かるお芝居」 ① [舞台]

 初演を振り返っているうち、7月も後半。再演まで残り3カ月余りとなった。「再演にあたって」を語ることにする。

 我々の作品づくりのコンセプトは一貫している。「初めての方がご覧になっても分かるお芝居」。「分かる」とは「お話が分かる」ということである。「ストーリーの明快さ」と置き換えてもいい。そのために俳優、スタッフは総力を絞る。

 今年観に行ったあるお芝居でのこと。1幕が終わった時、隣の高齢のご婦人に尋ねられた。「これはいいお芝居なんですよね?」。一瞬、言葉を探しながら、「…、ええ」と答える私。「ちょっと私には分からなくて…」。彼女は恐縮したように続ける。私は「少し難しいお話しですし、表現の約束事もあるので、分かりにくいところがあるかもしれませんね」とフォローした。

 実際の舞台はと言うと、出演者たちは好演しているし、作品の質もかなり高い。だが脚本のテーマが壮大であり、ストーリーの運び方は難しい。演出も芸術的と呼ぶにふさわしい頂(いただき)を目指している。それほどお芝居の愛好家とは言えないであろう高齢のご婦人が楽しむには、少し敷居が高かったのかもしれない。

 それでも私は思う。たとえ難解な作品であろうと、彼(か)のご婦人が「分かりやすく、感動する作品」を創りたいと。

 演劇は生(ナマ)で観客に届けるしかない。その場一回限りという点において映像とは決定的に違う。観客の反応は演じてである俳優にリアルタイムで起こり、演技のやり直しはきかない。お金を払って劇場に足を運ぶ観客が「来て良かった」「観て良かった」と思うには、「分かりやすさ」は必須の入り口だ。

 俳優は、「分かるお芝居」を創るために、以下の3つに留意して日頃からの鍛錬を行ない、舞台に臨まなければならない。

 ・何を言っているか分かる(言葉)

 ・何をしているか分かる(行動)

 ・どんな思いなのか分かる(情感)

 では、「分かるお芝居」を創るために、演出家である私がすることは?

 


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「夜物語」 初演 (3) ~舞台美術 パネルが、…青…? [舞台]

 後に分かることだが、仁平君の頭の中では、前進座劇場の寸法、客席からの見え具合、照明の有り様、これら全てが計算され、装置の形状と色の具体的なイメージが出来上がっていた。当時のスタッフで本当に仁平君の舞台装置で行けると判断していたのは、本人を除けば他1人だったろう。もちろん私ではない。

 9月15日、前進座劇場で仕込み開始。大道具が建て込まれた。それ以前にパネルの数は私の判断で上手、下手それぞれ1枚ずつ減らしていた。空間バランスを考えてのことだ。もちろん仁平君も納得の上で了承。パネルの材質もコスト削減のために安価なものにした。安っぽい装置にはしたくなかったので、私はかなり心配して相談したのだが、この時も仁平君は「材質を落としても全く問題ないです」と言い切った。そして実際、全く問題なかった。

 飯塚さんによる照明の調整が始まった。うす暗い客席から舞台を眺めた私は、決して誇張ではなく、全身が震えた。まだ調整中の照明だというのに、仁平君の装置が圧倒的な存在感で客席に迫ってくる。まさしく「夜物語」の世界…!信じて良かった!

 翌16日。俳優が参加しての舞台稽古。パネルの「青」は屋根裏部屋、妖精の国、ウルクーの森、魔法使いの国で、実に様々な表情を見せる。ベテラン・飯塚さんの照明の当て加減によって各シーンは違和感なく表現され、出過ぎて邪魔することもなく、背景となって消えることもない。ストーリーに貢献する頼もしい存在となっていた。「青」は効いていた…。


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